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2007年4月29日 (日)

「民主主義」

民主主義―古代と現代 (講談社学術文庫 1810)Book民主主義―古代と現代 (講談社学術文庫 1810)

著者:M. フィンリー
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1972年に出版された本で、古代ギリシャ史を専門とする著者が、古代ギリシャと現代との「民主主義」という概念を比較して考察しています。

今日の西欧社会においては、誰もが民主主義者である。これは150年前の状況に比べると、目を見張るばかりの変化である。この状況はもともとギリシャの「民主主義」という概念に含まれていた民衆参加の要素が大幅に削減されたことによって可能となり、そのような削減を正当化する理論の普及によってイデオロギー的に助長された。「エリート理論」と普通呼ばれるこの理論は、民主主義が機能し存続できるのは、職業政治家と官僚の事実上の寡頭政治の下でのみであると主張する。民衆参加は時折の選挙に限られなければならない。つまり、民衆が政治的に無関心であるのはよいことであり、社会の健全さの印であるというのである。

p.17 序文より

現代日本の民主政治が、「エリート支配」と呼んで良いものかどうか、疑問はありますが。政官財の「鉄の三角形」は現在も健在で、露骨な利益誘導はまま見られるところではありますね。

鉄の三角形は公的セクターと民間セクターの両方をカバーし,地方レベルにさえ根を張っている。それは,多くの場合,関連業界に対する影響力を各省庁に保証する法的な枠組みないし基本法令によって支えられている。しかも官僚は,規制対象の産業を支配するために公共の福祉の向上を理由とすることができ,特定の法的規定を根拠とすることができる。しかも日本には,規制当局との見解の相違を解決する競争監視機関ないし行政/司法仲裁機関が存在しないために,こうした裁量権が日本の政府機関をことのほか強力にしている。

「日本の改革の障害を取り除く」:OECD Observer 日本語版 No.216 1999年3月号

財界の意向は政治に反映されやすく、一般民衆の意向は反映されにくい、という現実は確かに存在するように思います。

「国にとってよいことはGM社にとってもよいことであり、その逆も真なり、だ」。この今では古典的になった発言は現在でも嘲笑と憤りを引き起こす。 ...
...
だが、果たしてこの発言は間違っているのだろうか。一体、何が国にとってよいことなのか。国益とはどういうことなのか。

p.116

投票権を行使することで、政治に「民意」が反映される、というのは、「うぶなイデオロギー」(p.25)の一種なのでしょう。ただ、民衆の投票行動で政治が変わるという例が、過去に存在するのも事実です。

ファシズムが合衆国にやってくるとすれば、それは反ファシズムの名においてであるとヒューイ・ロングは述べたが、彼は事態を正しく受けとめていたことになる。マッカーシーに対する大衆の支持は、「アメリカ民主主義の理想の意識的な拒否というよりも、その理想を護ろうとする、間違った努力を示している」。

p.29

だいたいは、ろくでもない結果になっているようではありますが。

私は、投票行動によって政治に民意が反映される、とは思いませんが、政治のパワーバランスに何らかの変化をもたらすことはあるだろう、とは思います。現代の民主政治というのは、とてつもなく迂遠な、”間接”民主制になっていますので。

同時に、国民の投票行動を根拠に、政府の政策を正当化することはできない、とも思いますけどね。それも「うぶなイデオロギー」にすぎないでしょう。

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