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2007年10月17日 (水)

財政窮状と”無駄遣い”

財政の窮状は国民は十分に承知していて、それにもかかわらず、相変わらず官僚や役人による無駄遣いが止まない、政治が無駄遣いを止めさせるリーダーシップがないところに国民の怒りがあるのであって、財務省が広報強化に乗り出し、「広報企画調整官」ポストに、17人の応募者の中から電通出身の人を起用したというのは、ご本人がいかに有能な方であっても、的はずれも良いところじゃないでしょうか。

大西 宏のマーケティング・エッセンス:財政の窮状を訴えるために広報強化とは的が外れていない? - livedoor Blog(ブログ)

個人的には”無駄遣い”というのは、あまり本質的ではないなあ、と思います。むろん、過去・現在において、”無駄遣い”があった/あるのは、確かでしょうけど。一般会計に関しては、全体を揺るがすほどの”無駄遣い”がなされているようには見えませんしね。具体的にどこが”無駄遣い”という指摘もあまり聞きません(特別会計では指摘されることはありますね。グリーンピアとか)。

結局、”無駄遣い”というのも価値判断になりますから、ある程度はどうしょうもない面もあるでしょう。つまり、人によって、”無駄遣い”の定義がまちまちなため、特定の人にとっては、”無駄遣い”でも、別の人にとっては必要というのは当然あるでしょうし。例えば、高所得者にとっては、社会保障なんて”無駄遣い”かもしれませんけど、低所得者にとっては、必要であるがごとく。

それよりも、政策が小手先の対策・選挙向けの打ち上げ花火に終始していて、グランドデザインがまったく提示されないことや、税収の根本的な問題を棚上げしているところに問題があるような気がします。

政策面では、現在の日本の歳入構造からすると、アメリカ・イギリスに近い、”小さな政府”へと向かわざるを得ないわけで、政府はまさにその方向へ邁進すべく、社会保障・福祉を削減し続けているわけですが、これは、国民的議論の結果、というわけではないと思います。高度成長が終焉して、低成長期に入った1970年代より、負担と給付はまったく釣り合っておらず、公債依存を強める結果となったわけですが、それも限界に到達した結果ですよね。結局、負担を増やすのか、給付を減らすのか、議論されないままで来てしまった感があります。

また、税収も問題としては、所得の補足率の問題があって、これもまったく論議はなされていない感じです。

勤労者が手にする所得の内、課税の対象となるのは必要経費を除いた残額である。本来課税対象とされるべき所得の内、税務署がどの程度の割合を把握しているかを示す数値を捕捉率と呼ぶ。この捕捉率は業種によって異なり、給与所得者は約9割、自営業者は約6割、農業、林業、水産業従事者は約4割であると言われる。このことを指して「クロヨン」と称する。

"クロヨン," Wikipedia, (accessed 10月 16, 2007).

消費税増税は、国民のより強い反発が予想される、所得税増税を回避して、少しでも取りやすいところからとる、という感が強いです。結局、これも目先のことだけしか考えていないなあ、と思うわけでして。税収が不足して財政窮状に陥った、そんなことは、30年も昔からわかっていたことであるはずなのですけどね。

もちろん、財政窮状の広報などといううのは、もっと小手先・近視眼的であるとは思います。

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