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2007年11月 3日 (土)

『方丈記私記』

Book方丈記私記 (ちくま文庫)

著者:堀田 善衛
販売元:筑摩書房
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・・・

私が以下に語ろうとしていることは、実を言えば、われわれの古典の一つである鴨長明「方丈記」の鑑賞でも、また、解釈、でもない。それは、私の、経験なのだ。

戦時中、東京大空襲のさなかにあって、「方丈記」を暗誦できるほどに読み返したという著者の、自己の体験と、「方丈記」のなかの記述との、共感によって書かれた「私記」です。

世の乱るゝ瑞相とか聞けるもしく、

「方丈記」福原遷都をめぐる記述のなかの上の文について、”瑞相”という、”吉兆”、よいことを意味する言葉が使われているのをみて、著者は、東京大空襲の後の、焼け跡にたったときに感じたものを思い起こします。

この分では日本国の一切が焼け落ちて平べったくなり、階級制度もまた焼け落ちて平べったくなる、という、無気味で、しかもなお一面においてさわやかな期待の感であった。

古い制度が何もかも失われ、新しく、そして暗に今よりもより良くなるという意を含む、制度ができる、という期待を、空襲の惨事のなかにあって感じたとか。

古京はすでに荒(れ)て、新都はいまだ成らず。ありとしある人は皆浮雲の思ひをなせり。

また、”古き日本”は既に崩壊の道を歩んでいるなかにあって、「明日の、新たなる日本というものについての映像がどうしても、うまく目に見えて来ない...」。歴史の狭間にある人間の、”ある不安の感”を、”浮雲の思ひ”に見出します。

しかし、著者は上のような”期待”を裏切られる出来事に遭遇します。

人民の側において、かくまでの災殃をうけ、なおかつかくまでの優情があるとすれば、日本国の一切が焼け落ちて平べったくなり、上から下までの全体が難民と、たとえなったとしても、この、といまのことばを援用していえば、体制は維持されるであろう、と私にしても、何程かはヤケクソに考えざるを得ないのであった。

日本の伝統的な思想の蓄積としての、”無常観”、”もののあはれ”、といった、”運命”(とみなしたもの)に対するある種の諦念が、政治的権力の前にあって、いかに都合のよいものであるか、これを著者にして、「日本」の業の深さ、としているように思いました。

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