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2008年2月27日 (水)

日本に多元主義はありうるのか

これはまさに、利益団体の寡占独占が生み出した失敗だと思います。「公」って誰が決めるんでしょう。政府?マスコミ?ネット?

「公」は上から降ってくるものではないし、「私」と単純に区別できるものでもない。それは沢山の「私」のぶつかり合いの中からおのずと立ち上る一種の紳士協定であり、ルールです。多数の「私」による積集合が「公」になるのです。まあ唯一常に正当化される「公」があるとすれば、そういうぶつかり合い自体を阻害してはならない、ということになるでしょう。

アメリカは「セイフティネットを自前で用意する社会」である(赤の女王とお茶を)

多種多様な利益団体が、自らの信じる”公益”を主張し、ぶつかり合うことで、社会全体の公益が実現されていく社会。こういうのを多元主義と呼ぶのでしょうか。こうした面で、日本は、より混迷を深めているというのか、何が何だかわからなくなっているような気がします。

カレル・ヴァン・ウォルフレン氏によりますと、かっての日本医師会は、日本では稀有な”普通”の利益団体であったとか。

医師会は、圧力団体として日本以外の国では当然とされる機能を発揮、あるいは、それを上回る働きをして、一九五〇年代以来日本の圧力団体の中でもっともはでな存在となった。他の多くの圧力団体とは違い、医師会は、官僚を懐柔して意志を通すというやり方ではなく、官僚に真向から対決する姿勢をとった。

【略】

政治評論家や新聞の社説は、このようなことは民主的政治をくつがえそうとするものだと論評した。圧力団体は全体のための福祉を考える配慮に欠けており、自己の利益のみ図る、ごり押しをおこなうと非難された。ところが皮肉なことに日本人が圧力団体を非民主的と見ていた六〇年代に、西欧の観察者(オブザーバー)は、圧力団体がでてきたのは、ようやく日本にも”民主主義”が根付き始めたことを示すなによりの証拠として引き合いに出していたのである。八〇年代になっても、圧力団体は西欧では、より本格的な多元主義(プルーラリズム)を進展させる力とみなされている。

しかし、さらに詳しく見てみると、日本では圧力団体がかなり変わった多元主義を推進しているということが判る。医師会は例外としても、日本における力関係はちょうど逆の方向に進展する。つまり圧力団体が政府を”とりこむ”のではなくいくばくかの補助金と最小限の譲歩と引き換えに、官僚と自民党がそうした圧力団体を逆に利用することになるのである。

カレル・ヴァン・ウォルフレン 著, 篠原 勝 訳, 『日本/権力構造の謎 上』(文庫新版), 1994, 早川書房, p.141-144

「政治評論家や新聞の社説は」から「自己の利益のみ図る、ごり押しをおこなう」の部分なんて、今の話じゃないかと思えるほどでして、まあ、日本社会のメンタリティはこのころ(高度成長期)から変わってないなあ、と思います。

かっての日本医師会の”異例”であったところは、自分達の信じる”公益”を堂々と表立って主張したところではなかったか、と思います。逆に”普通”の日本の利益団体は、あまり表立ったことはせずに、政治家や官僚に、自分達の利益を代弁させていたのではないかと。日本社会では、表立って何かを主張すれば、それだけでバッシングの理由になったりしますから、政治家・官僚に”汚れ役”をやってもらう、というのが”普通”のやり方であるのかもしれません。

これが政治家・官僚、そして医師会が叩かれる理由なのかもしれない、と思ったのですが。そうすると、日本の民主主義ってのは・・・、やっぱり、なんだかよくわからない代物であります。

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