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2008年4月20日 (日)

「もっと勉強してください」

ときどき見かけるこの発言ですが。少なくとも、”職業としての専門家”の発言ではないでしょうね。

知識ある者は、常に理解される責任をもつものとされてきた。素人は、専門家を理解するために、努力できるし努力すべきであるとしたり、専門家は、ごく少数の専門家仲間と話ができれば十分であるなどとすることは、野卑な傲慢というべきである。

大学や研究所の内部においてさえ、残念ながら今日珍しくなくなっているそのような態度は、彼ら専門家自身を無益な存在としてしまい、彼らの知識を、学識から衒学に変えてしまう。

P.F.ドラッカー著, 上田惇生訳, 『経営者の条件』, ダイヤモンド社, 1995, p. 82-83

素人がいるから、専門家であるわけでして。素人がいなければ、専門家もいないわけです。専門家というのは、自身の専門的知識をもって、素人に貢献するのが、その仕事であり、”飯の種”となっています。自身の専門分野について、必要なことを素人に理解させることのできない専門家というのは、確かに”無益な存在”であることでしょう。

Joel Spolsky 氏の分類に従うならば、この種の人間は、以下の2種類になりそうです。

  • 頭は良いが、成果の出せない人間
  • 頭が悪くて、成果の出せない人間

前者の例は、今まさにソフトウエアを出荷しようという段階で、特定箇所の実装の良否について議論を始めようとするような人間だそうで。”もっと勉強して”から、出荷するわけですな。この調子ですと、いつまでたっても出荷はできないわけですが。

もちろん、必要なことを素人に理解してもらう、というのは、簡単なことではないですけどね。コミュニケーションの重要性が声高に叫ばれているのも、専門分化の著しく進んだ現代にあって、異なる分野の専門家同士が協力することの困難さの表れでしょう。ある分野の専門家は、別の分野では素人であるわけですから、やはり、必要なことを素人に理解してもらわなければならないわけです。

職業として専門家をやっている人間にとっては、このようなことは百も承知のことでしょうけどね。日々、顧客にどうやって必要なことを理解してもらうか、ということに頭を悩ませているはずですから。

職業としては専門家をやっていない人間の場合。一体、自分の知識をもって他者に貢献しようとしているのか、それとも、自分の知識を自慢したいのか、あるいは、他者の知識のなさを笑いたいのか。自覚するのは難しいのかもしれませんね。

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