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2008年5月 6日 (火)

2つの科学

あるものが科学ではないといったところで、そこに何かあやまりがあるということにはならない。単に科学ではないというだけのことである。

坪井忠二 訳, 『ファインマン物理学 Ⅰ』, 岩波書店, 1986, p33

もともと、科学には2つのベクトルが異なる潮流があるようでして、それは、ガリレオが『新科学対話』で対置した、”新科学”と”旧科学”であるようです。”旧科学”というのは、ガリレオの著作では、”アリストテレス主義”と呼ばれているようです。これは、思弁と演繹的論理に重きをおき、実験・観測といった帰納的、あるいは技術的な方法を否定する ―― アリストテレスに言わせると”奴隷の仕事”  ―― もののようです。

レオナルド・ダ・ビンチの『絵画論』には「経験から産み出される知識は機械的 (meccanica) で、精神から生まれた知識は科学的 (scientifica) である」とある。つまり当時は機械的技芸と自由学芸の対比に経験と精神の対比が投影され、「経験」が頭脳の働きをともなわないもの、理論を欠落したものとして、精神すなわち思弁の下位に置かれていた。

山本義隆 著, 『16世紀文化革命 1』, みすず書房, 2007, p.17

同書によりますと、”機械的 (meccanica) ”というのは、 「手でおこなわれる」、「頭をつかわない」といった意味があり、「奴隷のする下賤な仕事」というニュアンスで使われていたとか。

少なくとも、16世紀西洋において、科学という言葉は、アリストテレス的な”旧科学”を指していたわけでして、その内容は、プラトン、アリストテレス、エウクレイデス、プトレマイオス等の、古代ギリシャ・古代ローマのラテン語文献の文献学であったようです。また、当時、教養という言葉の指すものも、こうした文献であったそうで。これは、ルネサンス ―― ”文芸復興”、という名で知られる動きでもあります。

同時期に、印刷技術が発達したことにより、芸術家や職人、技術者といった、”庶民”の人々が、自らの経験から得られた知識を、ドイツ語、フランス語、英語等の”俗語”によって記し、出版して公開するといった動きが起こったのだそうですが、こうした”経験知”の公開が、”新科学”の樹立へと繋がっていったようです。ガリレオが地動説を”発見”する過程というのが、望遠鏡の製作という、当時下賤と考えられていた、”手仕事”に始まったのは、注目すべきことでしょう。

”新科学”では、”旧科学”が軽んじ、蔑んでいた、”経験知”を積極的に取り入れ、仮説を実験や観測によって、帰納的に実証する、といった手法に重きを置くようになります。その後、”新科学”、すなわち近代科学は大きな成果をあげることになり、現代では、科学といえば、こちらを指すようになっているわけです。

我々の見方からすれば、数学は自然科学ではないという意味で、科学ではない。数学の正否をためすのは実験ではない。

坪井忠二 訳, 『ファインマン物理学 Ⅰ』, 岩波書店, 1986, p33

しかし、アリストテレス主義的な考え方というのも、根強く残っているようでして。

それは、たとえば、「問題の純粋に知的な側面よりも視覚的な側面」だとか、「研究者の中には、人間の個性において言葉の側面に匹敵する重みを、知的にはずっと劣る側面に与えたがっている者がいる」とかである。このような表明のあるものは、自信に満ちたお偉い方々のあからさまな言明であり、また別のものは、心眼によるイメージよりも言葉のほうが本質的に優れているという、学者たちの無意識のうちの前提を覗かせてくれる窓になっている。

E・S・ファーガソン 著, 『技術屋(エンジニア)の心眼』, 平凡社, 1995, p.66-67

「言葉による思考」に最高の地位を与えたのは、まさしくアリストテレスその人であったように思います。こうした考え方は、古代ギリシャの哲学から、16世紀の”旧科学”を得て、現代にも受け継がれているのでしょう。

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