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2008年5月24日 (土)

どの登場人物に感情移入するか

ということだと思いますけどね。

また、別の回に、資源の有限性がその合目的的な最適配分を促し、戦略性やリーダーシップや組織内の規範意識も意思決定も価値判断もそこから始まる、ということをわかりやすく説明したくって、四川の震災のニュースを挙げてトリアージの概念を説明した。絶対的に医療資源が不足しているところでは、「もう助かりそうにない患者」と「患者自身が処置したら大丈夫な患者」はカテゴライズして分けて、その間の「治療しなければ助からないが治療すれば助かるかも」というところに有限の医療資源を配分する、というシステムがあるんだよ、ということを説明したら、やっぱり女子学生のかなりの部分から「かわいそうだ」という反応があった。

ケーキ (福耳コラム)

ある種の「物語」を聞いて、登場人物の誰に自分を投影するかによって、違った感想がでてくる、というのは、当然あると思うのですよね。上の災害現場でのトリアージに関していえば、自分の立場を、医師におくか、患者におくかによって、やはり見方は異なるでしょうね。

もっとも、「かわいそう」という感想は医師にしろ患者にしろ、当事者からは出てこないようにも思えますね。むしろ、その場面をみている第三者、傍観者の見方という感じです。モラトリアムという語は、どこか「社会の傍観者」というニュアンスを感じさせますね。まさにモラトリアム期間にある学生達が、そういった実社会で起きている「物語」に対し、傍観者の見方をする、というのは、無理からぬという気もします。

確か実話をもとにした小説で ― 題名も著者名も失念してしまったのですが 、次のような話があったと思います。

さる小さな島で火山が噴火した。火山流が海岸沿いの集落に達する前に、船で島から脱出しなければならない。しかし、島民全員を乗せるだけの船はない。島の人々は船に殺到し、船が満員になっても、とりすがって「乗せろ」という。このままでは、船は出港できず、全員が火山流に呑まれてしまう。そこで、船頭は、とりすがる人々の腕を鉈で次々と切り落とし、船を出港させた。結果、船に乗せることのできた島民は、助かることとなった。

私がこの話を読んだとき、最初に感情移入した登場人物は、船頭氏でした。この切迫した状況下で、こうした過酷な決断を迅速に行い、即座に実行に移す。自分ならできるだろうかと考え込んでしまいましたね。そして、この船頭氏の決断力・行動力に唸ってしまったわけです。

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