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2008年6月 7日 (土)

個人でできることは個人でやり、集団では集団でしかできないことをやる

後からプレゼンのデータ、チャットのログ、要点まとめWiki、完全なまとめWiki、授業を受けた人のblog記事、塾講師のフォーラムでの授業後の議論等を収集するので十分だ。授業中はノートにコピーする機械になるより、話を全力で聞いて、全力で突っ込んだり議論したりと頭をはたらかせていた方がいい。(この突っ込み力、議論力、まとめ力、も評価したいし、できるだろう。ジョーク力なんかも評価したいが)

無駄だらけの現代授業を最適化しよう (高校生奮闘記)

今の授業を見てみると、要するに物凄い『受け身』の授業だと思うのだ。基本的には先生が板書し、説明しているだけ。生徒的にはそれこそブラウン管の向こうのものを見ている感覚に近い。こういう授業では殆ど頭を使わない(俺だけかもしれないけどね)。これをもっと双方向的な授業にしたいのだが、今は構造的にそれが出来ない状況になっている。

授業の最適化について捕捉 (高校生奮闘記)

このエントリを読んで、まさに私が高校生ぐらいの時分に、体育会系の友人が語っていたことを思い出しました。

日本の部活動では、ランニングや、筋トレなど、一人でできるような基礎トレーニングも、いちいち、部員全員を集めて集団でやっている。時間の無駄だと思う。一人でできるようなトレーニングは、各自でやれば良いのであって、集団でやる必要はない。集団でやるのなら、連携プレイや、フォーメーションなど、集団でしかできないトレーニングをやるべきだ。実際、欧米ではそうするのが普通らしい。

当時は、なるほどなあ、と感心したものなのですが。これって、学校の授業にも当てはまるのではないですかね。

学習というものを、知識のインプットとアウトプットに分けますと、インプットの部分というのは、一人でもできるんですよね。教科書でもノートでも参考資料でも、インプットすべき内容を渡して、それを生徒が各自で勉強してくればよいわけです。

しかし、アウトプットの部分に関しては、一人でやるのはなかなか難しいわけです。日本の学校では、アウトプットといえば、ペーパーテスト(だけ?)になるかと思いますけど。他にも、ディスカッションですとか、プレゼンテーションですとか、色々あるんですよね。

欧米の学校の授業というのは、ディスカッションが中心になっていると聞きますけど、それは、上のような考えに基づいているのではないでしょうかね。つまり、ディスカッションの題材となる知識については、各自で教科書なり参考資料なりを事前に勉強してくることになっていて、授業ではそれを前提に集団でディスカッションする、という形になっているのでは、と想像するわけです。

インプットの部分は、ITツールを使うことで、”高速道路論”にいうように、現在よりももっと効率化し、浮いた余裕を、アウトプットにまわしたい、ということだと思いましたけどね。正論と思います。

日本の教育が座学、つまりはインプットに偏重していて、アウトプットといえば、ペーパーテストぐらいしかない、というのは事実でしょう。この方式のメリットは、コストパフォーマンスの高さであろうと思います。少数の教師で多くの生徒を相手にすることができますからね。まさに大量生産方式でして、”教育工場”とは言いえて妙です。

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