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2009年4月14日 (火)

ソフトウエアの「消費コスト」

というのか、何かそんな概念について。

「ソフトウェア工場はうまくいかないんですね。なぜなら部品の組み立てに相当するものが、アップロードとかDVDに焼くといった工程ぐらいしか存在せず、効率化しようないからです」。

「ソフトウェアは工業製品ではない」 Rubyのまつもと氏が講演 @IT

確かに、計算機プログラムの「製造」工程というのは、ソース・コードのビルドであり、サーバへのアップ・ロードであり、 CD/DVD への書き込みであったりして、製造コストは限りなくゼロに近い − 少なくとも「設計」にかかるコストに比べれば − とは思うのですが。

しかし、計算機プログラムには、「設計」以外にも大きなコストが存在すると思うのですよね。

例えば、計算機プログラムを音楽 CD のようなものと比較した場合、大きな違いがあって、それはユーザの「消費コスト」というのか、「使用コスト」のようなものの存在だと思います。つまり、計算機プログラムの入った CD を買ってきて、 PC の CD-ROM ドライブにセットして、「再生」ボタンを押せば、即座に「消費」可能 − ユーザがその製品の付加価値を得ることが出来る − かといえば、否なんですよね。

ユーザが計算機プログラムを入手してから、ユーザがそのソフトウエアの付加価値を享受するまでには、通常、長い道程があるわけです。何百ページだか何千ページだかあるマニュアルと格闘しつつ、ソフトウエアをインストールし、ソフトウエアの使い方を学び、様々な設定をほどこし、データを入力し、そして、ちょっとしたプログラムを書く必要があったりするわけです。

かくして、この大きな労力を必要とする仕事を、ユーザの代わりに行い、ユーザがソフトウエアを使えるような状態にまで持っていく(ターン・キー)、というビジネスが生まれたわけでして。いわゆる SIer と呼ばれる産業です。

こうした、ソフトウエア・ベンダー、ハードウエア・ベンダーから、ユーザまでの「ラスト・ワン・マイル」 − 現状はワン・マイルどころではなさそうに思いますが − を担当する仕事というのが、それなりに大きな産業として存在しているわけです。

そこで感じたのは、現場の科学者が「明日にでも計算したい問題を抱えている」ということは、観念として理解されることはあっても、実感としてはわかってもらえないらしいということであった。彼の答えは、逆に、私の専用機を作るという火に油を注ぐことになった。やはり、自分でやるしかないのである。

杉本大一郎, 『手作りコンピュータへの挑戦 テラ・フロップス・マシンをめざして』, 講談社 ブルーバックス B-956, 1993

上に引用したのは、かの GRAPE 計算機の開発話ですが。著者が、計算機メーカー、計算機科学者への愚痴(?)のようなものを書いています。それは、計算機メーカーや計算機科学者は、「汎用」の問題を解くことにばかり熱心で、科学者の抱えている個別の問題には関心を持ってくれない、といったことです。

これは、計算機ビジネスの構造的要因から来ていると思うのですよね。つまり、ソフトウエアにしろ、ハードウエアにしろ、ベンダーは可能な限り多くのユーザを獲得しなければならないわけでして(業界では「ユーザ・ベース」とかいってますね)。そうすると、システムは可能な限り「汎用」に作る必要が出てきます。特定の問題にフォーカスしても、それこそ、特定の少数のユーザしか得られませんからね。

しかし、「汎用」なシステムを、ユーザが自分の問題解決に使おうとすると、あれこれと自分で作業をする必要が出てくるわけです。このジレンマが解消する日が、いつかは来るのでしょうかね?

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